明治維新になると、横浜の外国人居留地や北海道でビールが造られ始め、明治10〜20年代になると、日本各地でビールが製造されるようになりました。
石川酒造では、明治21年2月からビールの釀造を開始し、6月から「日本麦酒」(英文ラベルは JAPAN BEER)の名称で近在や東京・横浜へ販売しました。製造法はドイツ式で、年間約300石のラガービールを醸造しました。しかし、まだ王冠の技術がなく、瓶が破裂し易いなどの理由で、明治23年に製造装置は売却されました。
なお、サッポロビールは明治3年から「レッドスター」、キリンビールは明治22年(当時は JAPAN BREWERY)から「麒麟」の商標を用いています。また、同年に東京府三田の日本麦酒はエビスビールを発売しました。アサヒビール(大阪麦酒)は明治25年から「旭」の商標を使用しましたが、大阪の日の出ビールに買われた石川酒造のビール商標の旭との間に、商標権をめぐって訴訟が起きました。